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ゆうごうの「目指せこころあつまるお寺!」

千葉県佐倉市直弥にある「皓月山 宝金剛寺」住職 京極勇剛の部屋

 山中城と北条氏勝

春休みを利用して箱根方面へ行ってきました♪



お目当ては日本100名城のひとつで国の史跡に指定される山中城跡です。


伊勢宗瑞(北条早雲)を祖とする小田原北条氏の支城である山中城は、


天正18年(1590)に豊臣秀吉による小田原征伐における北条氏側にとって西の防衛の重要な拠点でした。


そしてそこには城主松田康長(1537-1590)と、のちの宝金剛寺大檀主である北条氏勝らが


豊臣軍を迎え撃つのです。






そんな戦いの舞台でもある山中城跡には堀や土塁が良い状態で現在に残り、管理されています。





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自然の地形を巧みにとり入れた山城





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敵の侵入を防ぐ「障子掘り」




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障子掘りに目を奪われる戦国好きの長男





豊臣軍はその数4万人とも6万人ともされ、


たいして山中城を死守する北条軍は4000人程と伝わります。








文字通り必死の応戦にもかかわらず圧倒的兵力に屈した山中城での北条軍。




その際、北条氏勝の家臣である間宮康俊(1518-1590)は氏勝を玉縄城へ逃がし、




豊臣家臣の一柳直末(1546-1590)を打ち取る手柄を上げるも、遂には玉砕しました。






山中城跡に隣接する宗閑寺には、山中城城主をはじめ、間宮康俊も一柳直末も供養されています。





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東月山 宗閑寺



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三基の五輪塔の内、向かって左が間宮康俊のもの














山中城落城の数か月後には本拠の小田原城も開城。



玉縄北条氏菩提寺であった龍寳寺住職良達の説得により生き延びた氏勝は、




徳川家康の命により岩富城(佐倉市岩富町)一万石に封ぜられ、



宝金剛寺住職覚朝に帰依し岩富藩の整備を進め、慶長16年3月24日に没し宝金剛寺に葬られました。










というわけで、時代のロマンを感じつつ。



後学の為ためとのたまいつつ、家族でドライブを満喫したのでありました(*^^*)





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2 Comments

尼崎の住人  

楽しく読ませていただきました

山中城と北条氏勝、楽しく読ませていただきました。
間宮康俊は氏勝の家臣だつたのですね。
実は江戸時代、八千代市や四街道市の村々を治めた旗本たちの中に
後北条氏の家臣だった間宮一族がいた関係で、ちょっと触りだけ
調べたことがあります。八千代市だと高津村の領主が間宮一族でした。

2017/04/02 (Sun) 18:50 | EDIT | REPLY |   

naoyanootera  

Re: 楽しく読ませていただきました

尼崎の住人 様。お世話になります!

大隆寺(四街道市山梨)に間宮七郎兵衛吉俊なる人物の墓石があるようですね。
例の喜寿論集の件もありますので、その際に関連資料をあわせてお送りしたいと思います。

少し前のブログで書いたのですが、大隆寺の鐘楼門は当寺にあった鐘楼門と似ているのではないかと想像されます。
間宮氏と北条氏しかり。この辺りの共通項が楽しいなと感じます♪

2017/04/03 (Mon) 09:17 | EDIT | REPLY |   

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