「袈裟の修復」始まる!

当寺所蔵で「岩富城主北条氏勝寄進資料」名の佐倉市指定文化財のうち、

七条袈裟(2領)の修復計画が動き出しました!





・七条袈裟「牡丹唐草文様」
  北条氏勝寄進 慶長2年(1597)銘

・七条袈裟「亀甲梅椿文様」
  北条氏勝寄進 慶長13年(1608)銘 





そしてこの度の修復は、公益財団法人朝日新聞文化財団の助成によるものです。




ブログサイズ用
朝日新聞(2017/10/03)社会面より抜粋




この計画では来年度より計3カ年かけて修復を行い、完成年(もしくは翌年)の一般公開を予定しております!





宝金剛寺といえばまさにこの什物、といえるこちらの七条袈裟。



あらためて考えると、当寺で毎回行う公開講座も、



この袈裟の市文化財指定を記念した公開が端緒となるのです♪







*市指定の交付式(2010/10/19)に関する記事は→(コチラ


*『岩富城主北条氏勝公寄進資料特別公開会(2010/11/06)』の記事は→(コチラ









計画の進捗状況は、おいおいこちらのブログで公開してまいります!




どうぞよろしくお願いいたします。(#^.^#)



旗印を設置しました!

雨が多いですね。。。



時節的には桜雨といったところでしょうか。




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つかの間の好天時に境内でパシャリ♪







さて。



昨年あたりから構想していたのですが。




この度、当寺大檀主北条氏勝公(1559-1611)にちなんだ旗印を作ってみました。





旗印は全二種類。(詳細は後述)




では墓所と、墓所へのアプローチに早速飾ってみましょう♪



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あらためて説明おば。




旗は二種類。



まず、黄色地に「八幡」と記されるのは。



氏勝公の系統である玉縄北条氏にとってシンボリックな旗印「黄八幡」



玉縄北条氏第二代の北条綱成(1515-1587)の旗指物で、



現物が真田宝物館にて所蔵される、戦国好きにはたまらない旗です。




*同館HP内データベースにて現物の確認ができます







そして、白地に正三角形で構成される文様が載る旗印は「丸の内三鱗」



こちらは氏勝没後に養子として家督を継ぎ、



玉縄北条氏最後の当主となった北条氏重(1595-1658)の旗印とされ、



氏重の肖像画とともに、描かれているものです。






『遠江久野城!』氏重肖像
上嶽寺所蔵「北条氏重肖像画」より






これらの旗の宝金剛寺での使用は史料がありませんが、




当寺に残る記録では、境内には過去に八幡神社があり、



その棟札には氏勝の名とともに武運長久の文字があったこと。



また、当寺の寺紋がいわゆる小田原北条の紋である二等辺三角形型の「ミツウロコ」ではなく、



氏重肖像画に描かれる正三角形型で円に囲まれた「丸の内三鱗」であること。





他、研究者の知見を重ね、想像するものです。





もちろん、サイズも生地も完全復元とはいきませんが、




ある程度史実に則って作成してみました。




境内掲示板と墓地へのアプローチには、説明文も掲載。





あわせて同文は、堂内常設展示コーナーで参考資料として無料配布いたします!








なので、決してワルノリではありませんのであしからず♪♪



(楽しんで作ったのは確かです)






あぁ、先月お寺に御朱印で来た戦国マニアの彼に見せたかったなぁ~。





とにかく。






お参りの際は、ちょっと見ていただけるとウレシイっす(*^▽^*)








旗印作成にあたり、以下のご協力をいただきました。


・真田宝物館 様
・袋井市歴史文化館 様
・西台寺(静岡県浜松市) 様
・上嶽寺(静岡県袋井市) 様
・玉縄城址まちづくり会議 様
・外山信司(元佐倉市文化財審議会委員) 様



各位のご協力にあらためて御礼申し上げます。




山中城と北条氏勝

春休みを利用して箱根方面へ行ってきました♪



お目当ては日本100名城のひとつで国の史跡に指定される山中城跡です。


伊勢宗瑞(北条早雲)を祖とする小田原北条氏の支城である山中城は、


天正18年(1590)に豊臣秀吉による小田原征伐における北条氏側にとって西の防衛の重要な拠点でした。


そしてそこには城主松田康長(1537-1590)と、のちの宝金剛寺大檀主である北条氏勝らが


豊臣軍を迎え撃つのです。






そんな戦いの舞台でもある山中城跡には堀や土塁が良い状態で現在に残り、管理されています。





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自然の地形を巧みにとり入れた山城





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敵の侵入を防ぐ「障子掘り」




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障子掘りに目を奪われる戦国好きの長男





豊臣軍はその数4万人とも6万人ともされ、


たいして山中城を死守する北条軍は4000人程と伝わります。








文字通り必死の応戦にもかかわらず圧倒的兵力に屈した山中城での北条軍。




その際、北条氏勝の家臣である間宮康俊(1518-1590)は氏勝を玉縄城へ逃がし、




豊臣家臣の一柳直末(1546-1590)を打ち取る手柄を上げるも、遂には玉砕しました。






山中城跡に隣接する宗閑寺には、山中城城主をはじめ、間宮康俊も一柳直末も供養されています。





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東月山 宗閑寺



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三基の五輪塔の内、向かって左が間宮康俊のもの














山中城落城の数か月後には本拠の小田原城も開城。



玉縄北条氏菩提寺であった龍寳寺住職良達の説得により生き延びた氏勝は、




徳川家康の命により岩富城(佐倉市岩富町)一万石に封ぜられ、



宝金剛寺住職覚朝に帰依し岩富藩の整備を進め、慶長16年3月24日に没し宝金剛寺に葬られました。










というわけで、時代のロマンを感じつつ。



後学の為ためとのたまいつつ、家族でドライブを満喫したのでありました(*^^*)





岩富城主の墓所はこちら

境内ウラ墓所に一枚の看板が設置されました。





それは当寺大檀主である中近世移行期の大名北条氏勝(1559-1611)に関するもの。




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年に何度もありませんが「(氏勝の)お墓はどこにあるのですか?」と聞かれますし。






なにより以前設置の道案内看板「北条氏勝公菩提寺」と高らかに記載している以上、







その墓地がどこかわからないのでは、申し訳ないですからね(^▽^;)







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ちなみにこちらの墓石(五輪塔)は氏勝公の没400年にあたる平成23年に改修されたものとなります。



(墓石開眼のようすは→コチラ♪












以下、補足情報ですが。














こちらの墓所はいつのころからかはっきりとした場所が不明となっており、




平成13年の墓域改修工事に伴う現地調査では、その場所を確定するには至りませんでした。





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平成13年の現地調査の様子 







ただ、有識者の研究とあわせて、弘化4年(1848)の下総国輿地全図には寺のある位置に墓所として記載があることもあり、








(氏勝墓部分)下総国輿地全図 弘化5年版
下総国輿地全図 弘化5年(1848)版の一部*青線はブログ筆者による







伝承の位置として問題ないとの判断で、現在に至っています。








どうぞ改めてご参拝・ご見学ください!







お寺と歴史と現在と

≪岩富藩主北条氏勝と寳金剛寺≫ 
      文章:外山信司(佐倉市文化財審議委員)



寳金剛寺は、岩富一万石の大名であった北条左衛門大夫氏勝公の菩提寺です。
 北条氏と言えば、鎌倉幕府の執権をつとめた北条氏と、戦国乱世を代表する人物として有名な北条早雲を祖とする小田原の北条氏があります。氏勝公は、小田原北条の一族で、JR大船駅の近くに残る玉縄城(鎌倉市城廻)の城主でした。
 天正18(1590)年、全国統一を目指す豊臣秀吉は、北条氏を攻めました。
氏勝公は玉縄城に立て籠もったものの、開城して徳川家康に従いました。関東の城々を攻略するうえで貢献した氏勝公に対し、家康は岩富城(佐倉市岩富町)を与えて大名としたのです。
 氏勝公は徳川氏に仕えて活躍しましたが、慶長(けいちょう)16(1611)年3月24日、岩富で没し、領内の当寺に葬られました。享年53歳、法号は「静覚院殿恵公居士」で、当寺の院号「静覚院」も氏勝公の法号にちなんでいます。
 こうして当寺は、佐倉市東部の真言宗寺院のなかで中心的な寺院となりました。氏勝公が帰依した十四世覚朝上人は「中興開山」とされています。当寺は、堀田氏の甚大寺、土井氏の松林寺とともに、佐倉市内でも数少ない大名家の菩提寺です。本堂の屋根に輝く三鱗紋は、当寺の歴史を今に伝えているのです。




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*この文章は平成20年6月の宝金剛寺落慶式で配布されたパンフの為に寄稿されたもの(一部省略)です。
*筆者の肩書は平成20年6月当時のものです。









いきなりでスンマセン(#^.^#)







本堂で公開中の宝金剛寺常設展

『宝金剛寺を伝えるもの-近世からみるカタチ-』

なにか文章資料を付けようとして考えていました。




そうしたら「あ!落慶式パンフに絶好の文章あったじゃん!!」と今更思いだす。

こちらが掲載されたパンフは落慶日に参加していただいた方にしか配布されておらず、

広く行き渡っているとは言い難いから、再度取り上げてしかるべきだと思った。




落慶式時(正確には“建設事業中”)の事はあまりのドタバタで、正直なところ記憶がちぐはぐだったり、

なんならところどころ抜け落ちていたりする。。。



あれ以来空気感が変わってしまった寺関係者や知人が多いのは、きっと当時のオイラの至らなさなのだろう。

でも、あれ以来力を貸してくださる寺関係者や知人もいる。それはきっと当人自身の思いなのだろう。



そんなオイラのこざかしい台詞はともかく。

あらためて読み返してみて「こんな素晴らしい文章を載せない理由はないっしょ♪」と。





実は後もう1つ掲載したいものがある。

しかしそのためにはいくつか資料を集めないと。

どこかに仕舞ってあるんだっけ?それともそもそも所有してないんだっけ??



・・・・・。



やはり記憶が抜け落ちている。。。(´Д`|||)










追記:必要な資料は過去に頂いていた事が判明・・・探さなきゃ(-_-;)





                            

プロフィール

naoyanootera

Author:naoyanootera
千葉県佐倉市直弥にある「宝金剛寺」というお寺の住職です。
お寺の日常や坊さんとして思った事、他趣味やらをつらつらと。。

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