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袈裟の修復について

昨年秋(2017/10/06ブログ)よりお伝えしている




公益財団法人朝日新聞文化財団の助成による




当寺所蔵「北条氏勝公寄進 七条袈裟」の修復事業です!





昨日(4/10)は、修復業者に京都からお出でいただき、





正式契約と品物の受け渡しが行われました。






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2領の袈裟(計4枚)を入念に確認していきます









そして確認&梱包作業を行いつつ、完成後の調査報告及び一般公開の資料として



写真の撮影も行います。





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丁寧に、それは丁寧に梱包されていきました♪








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資料写真を撮るところを“撮る











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無事に収まったようです







それにしてもさすが一流の業者様というべきか。






京都からの分刻みのタイトなスケジュールをてきぱきとこなしつつ。




それでいてとても慎重にご対応いただきました(#^^#)








梱包後は佐倉市文化課の担当者様を交え、





あらためて今後の修理方針や進捗の予定のすり合わせ。




このあたりは専門の研究者様のご協力もいただくことを確認しました。








そしてどうやら私自身も今秋と来春の2度は現地確認が必要なようですな(^▽^;)










いよいよ本格始動した三ヵ年度にわたるこの事業。






わくわくドキドキ(´∀`*)ウフフ







完成が今から楽しみといったところであります!






「袈裟の修復」始まる!

当寺所蔵で「岩富城主北条氏勝寄進資料」名の佐倉市指定文化財のうち、

七条袈裟(2領)の修復計画が動き出しました!





・七条袈裟「牡丹唐草文様」
  北条氏勝寄進 慶長2年(1597)銘

・七条袈裟「亀甲梅椿文様」
  北条氏勝寄進 慶長13年(1608)銘 





そしてこの度の修復は、公益財団法人朝日新聞文化財団の助成によるものです。




ブログサイズ用
朝日新聞(2017/10/03)社会面より抜粋




この計画では来年度より計3カ年かけて修復を行い、完成年(もしくは翌年)の一般公開を予定しております!





宝金剛寺といえばまさにこの什物、といえるこちらの七条袈裟。



あらためて考えると、当寺で毎回行う公開講座も、



この袈裟の市文化財指定を記念した公開が端緒となるのです♪







*市指定の交付式(2010/10/19)に関する記事は→(コチラ


*『岩富城主北条氏勝公寄進資料特別公開会(2010/11/06)』の記事は→(コチラ









計画の進捗状況は、おいおいこちらのブログで公開してまいります!




どうぞよろしくお願いいたします。(#^.^#)



旗印を設置しました!

雨が多いですね。。。



時節的には桜雨といったところでしょうか。




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つかの間の好天時に境内でパシャリ♪







さて。



昨年あたりから構想していたのですが。




この度、当寺大檀主北条氏勝公(1559-1611)にちなんだ旗印を作ってみました。





旗印は全二種類。(詳細は後述)




では墓所と、墓所へのアプローチに早速飾ってみましょう♪



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あらためて説明おば。




旗は二種類。



まず、黄色地に「八幡」と記されるのは。



氏勝公の系統である玉縄北条氏にとってシンボリックな旗印「黄八幡」



玉縄北条氏第二代の北条綱成(1515-1587)の旗指物で、



現物が真田宝物館にて所蔵される、戦国好きにはたまらない旗です。




*同館HP内データベースにて現物の確認ができます







そして、白地に正三角形で構成される文様が載る旗印は「丸の内三鱗」



こちらは氏勝没後に養子として家督を継ぎ、



玉縄北条氏最後の当主となった北条氏重(1595-1658)の旗印とされ、



氏重の肖像画とともに、描かれているものです。






『遠江久野城!』氏重肖像
上嶽寺所蔵「北条氏重肖像画」より






これらの旗の宝金剛寺での使用は史料がありませんが、




当寺に残る記録では、境内には過去に八幡神社があり、



その棟札には氏勝の名とともに武運長久の文字があったこと。



また、当寺の寺紋がいわゆる小田原北条の紋である二等辺三角形型の「ミツウロコ」ではなく、



氏重肖像画に描かれる正三角形型で円に囲まれた「丸の内三鱗」であること。





他、研究者の知見を重ね、想像するものです。





もちろん、サイズも生地も完全復元とはいきませんが、




ある程度史実に則って作成してみました。




境内掲示板と墓地へのアプローチには、説明文も掲載。





あわせて同文は、堂内常設展示コーナーで参考資料として無料配布いたします!








なので、決してワルノリではありませんのであしからず♪♪



(楽しんで作ったのは確かです)






あぁ、先月お寺に御朱印で来た戦国マニアの彼に見せたかったなぁ~。





とにかく。






お参りの際は、ちょっと見ていただけるとウレシイっす(*^▽^*)








旗印作成にあたり、以下のご協力をいただきました。


・真田宝物館 様
・袋井市歴史文化館 様
・西台寺(静岡県浜松市) 様
・上嶽寺(静岡県袋井市) 様
・玉縄城址まちづくり会議 様
・外山信司(元佐倉市文化財審議会委員) 様



各位のご協力にあらためて御礼申し上げます。




山中城と北条氏勝

春休みを利用して箱根方面へ行ってきました♪



お目当ては日本100名城のひとつで国の史跡に指定される山中城跡です。


伊勢宗瑞(北条早雲)を祖とする小田原北条氏の支城である山中城は、


天正18年(1590)に豊臣秀吉による小田原征伐における北条氏側にとって西の防衛の重要な拠点でした。


そしてそこには城主松田康長(1537-1590)と、のちの宝金剛寺大檀主である北条氏勝らが


豊臣軍を迎え撃つのです。






そんな戦いの舞台でもある山中城跡には堀や土塁が良い状態で現在に残り、管理されています。





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自然の地形を巧みにとり入れた山城





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敵の侵入を防ぐ「障子掘り」




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障子掘りに目を奪われる戦国好きの長男





豊臣軍はその数4万人とも6万人ともされ、


たいして山中城を死守する北条軍は4000人程と伝わります。








文字通り必死の応戦にもかかわらず圧倒的兵力に屈した山中城での北条軍。




その際、北条氏勝の家臣である間宮康俊(1518-1590)は氏勝を玉縄城へ逃がし、




豊臣家臣の一柳直末(1546-1590)を打ち取る手柄を上げるも、遂には玉砕しました。






山中城跡に隣接する宗閑寺には、山中城城主をはじめ、間宮康俊も一柳直末も供養されています。





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東月山 宗閑寺



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三基の五輪塔の内、向かって左が間宮康俊のもの














山中城落城の数か月後には本拠の小田原城も開城。



玉縄北条氏菩提寺であった龍寳寺住職良達の説得により生き延びた氏勝は、




徳川家康の命により岩富城(佐倉市岩富町)一万石に封ぜられ、



宝金剛寺住職覚朝に帰依し岩富藩の整備を進め、慶長16年3月24日に没し宝金剛寺に葬られました。










というわけで、時代のロマンを感じつつ。



後学の為ためとのたまいつつ、家族でドライブを満喫したのでありました(*^^*)





岩富城主の墓所はこちら

境内ウラ墓所に一枚の看板が設置されました。





それは当寺大檀主である中近世移行期の大名北条氏勝(1559-1611)に関するもの。




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年に何度もありませんが「(氏勝の)お墓はどこにあるのですか?」と聞かれますし。






なにより以前設置の道案内看板「北条氏勝公菩提寺」と高らかに記載している以上、







その墓地がどこかわからないのでは、申し訳ないですからね(^▽^;)







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ちなみにこちらの墓石(五輪塔)は氏勝公の没400年にあたる平成23年に改修されたものとなります。



(墓石開眼のようすは→コチラ♪












以下、補足情報ですが。














こちらの墓所はいつのころからかはっきりとした場所が不明となっており、




平成13年の墓域改修工事に伴う現地調査では、その場所を確定するには至りませんでした。





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平成13年の現地調査の様子 







ただ、有識者の研究とあわせて、弘化4年(1848)の下総国輿地全図には寺のある位置に墓所として記載があることもあり、








(氏勝墓部分)下総国輿地全図 弘化5年版
下総国輿地全図 弘化5年(1848)版の一部*青線はブログ筆者による







伝承の位置として問題ないとの判断で、現在に至っています。








どうぞ改めてご参拝・ご見学ください!







プロフィール

naoyanootera

Author:naoyanootera
千葉県佐倉市直弥にある「宝金剛寺」というお寺の住職です。
お寺の日常や坊さんとして思った事、他趣味やらをつらつらと。。

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