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いまいちど調査する

本日は昨年から行われている境内石造物調査の日。





梅雨ですから建物の中で資料の整理を予定していましたが、





好天となりまして、ならばやはり実地調査です♪








今回は江戸前期の寛文12年造立の通称「八幡宮前石塔」がターゲット!






拓本を取り、詳細を読み取ってゆきます(^^♪







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実はこちらの石塔は以前に市による調査が入っているのですが、




あらためて石造物の専門の先生による再調査という運びです♪






*以前の様子は→コチラ♪








それにしても見事な拓本技術!!





まるで文字が浮き上がってくるようです(゚д゚)!







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今回の再調査によって、特に正面部分で以前読んだ箇所の誤読をいくつか発見でき、





そして読めなかった文字も随分解読できました。







今後は側面箇所の人名(約300名?)の解読と進んでいきそうです。







いや、これが難敵のようですが・・・・・。








ご参加の皆さま、本日もありがとうございました(*^▽^*)








お坊さんの履歴書?

外は連日の雨です ヽ`、ヽ`个o(・ω・。)`ヽ、`ヽ、ヽ`



こんな時は外作業が出来なくてちょっと物足りない。



でも、今日は違います!!



それは客殿では什物の調査が行われたからです♪♪








今回は、お寺に伝わる文書の内、特に宗教的で専門性の高い史料が対象です。





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計20通ほどの関係文書







ありがたいことに私の大学時代の同級生が立派な研究者となられておりまして、




さらに自身の研究分野に近いということでつまり






「ちょっと何かのついでに見てくれない?」



「あぁ、じゃあ見てみますか!」




といういきさつです(*´▽`*)










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主に江戸の中期(寛延~寛政)を中心とするこれらの文書を、慣れた手つきでフムフムと調べていきます♪





そしてその中には、特に地域史として興味深いものもあり。




(1799)貫山 宝珠院 寛政11年 1-1
文書中「宝珠院」とは市内大佐倉の宝珠院か








大佐倉山 最上宝珠院については→コチラ♪







それはそれは意義のある充実した調査となりました♪







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そして最後になりましたが。



忙しい最中に時間を作ってくれた櫛田良道(大正大学 専任講師)様。


同席してくれた土佐博文(佐倉市史編さん室)様に心から御礼申し上げます。






*今回の調査については、次年度(次々号)の『佐倉市史研究』に掲載される予定です。


たくさんの名前

新年も気が付けば7日を過ぎ。


お寺も通常モードに戻りつつあります(^^♪



そんな中、久々にこのコーナーで行ってみましょう!






お寺に伝わるたからもの その㉗

『念佛講 位牌札』 明治九年十一月銘




年末の大掃除でアチコチ片付けている最中。



「そぉいえば、名前がたくさん書いてある木札があったケド、どこに置いてあったかな?」



と急に思い出しつつ年が明けました。




そして(自分の中で)意外な場所に仕舞ってあったことにひとり驚き。



整理してみようと子供たちに声をかけました。




するとその数のなんとまぁ多いこと!!!



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調査員(家族)による整理作業









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乱雑に納められた木札
(*個人情報に配慮し、一部加工してあります)







そして、以前(平成20年収納時)に何故か未確認だった墨書を箱の蓋ウラで確認いたしました!!!







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期待通り!明治期の始めだ!!(*理由は後述)








さぁ、張り切って数えていこう!








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一枚づつホコリを掃い、地区名別に分別





延べ3日にわたる調査の結果、




佐倉市内はもちろん、八街や酒々井、四街道といった近隣の地区名と。






檀家の有無に留まらない総計783名もの芳名が確認できたのです。オオーw(*゚o゚*)w










では、なぜ今までこんな大切な什物がノーマークだったのか?!








それはこの箱の形状が、他の経本箱と誤認されていたことと。




収納場所が他の什物と違う押し入れに(新本堂への移転時に)仮置きしたままになっていたこと。





更にはその場所の前に普段移動しない大型の仏具が置かれて現在に至ったということでした。





そして、この木札の製作年代ですが。








これは今後調査される境内の石造物と大きくかかわってくることを確信するものでした!





あわせて調査から外れていた古文書との関連もありそう?!




今後が益々楽しみな当寺の”たからもの”なのでありました(*^▽^*)











今後ともコツコツUPしてまいりますので、
皆さまのあたたかいご支援と拍手ボタンぽちっとをお待ちしております♪


失われた山門の記憶

本堂内で地味―に実施中の寺宝の常設展示




夏に向けて、少しだけリニューアルいたしました♪




展示は大きく3章に分かれているのですが、そのうちの第3章目。



「失われた山門の記憶」と表しております(#^^#)




以前までの第3章は→コチラ♪








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第3章 失われた山門の記憶 展示一覧

・宝金剛寺敷地 位置図

・鐘勧進記

・鐘楼堂勧化版木×2

・寺有財産簿






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当寺山門については以前ブログでも取り上げましたが()、





現存史料からの視点で考えています。





需要があるわけでもないし、極自己満足的な常設展示ではありますが。





展示することで私自身の勉強にはなっています(笑)





ご関心のある方は、お参りの際にご覧になってみてください!!














在りし日の山門(楼門)について考える 最終回

全3回の最終稿です♪

第1回は→コチラ
第2回は→コチラ



宝金剛寺の鐘楼門には仁王様がいないという伝承は・・・。






天明3年の飢饉よりも以前に発願され、



当時を記す版木にも飢饉との関連は見られないこちらの山門。



さらに仁王様が存在しないとはこれいかに?




この件では私なりの仮説があります!




それは、




「もともと仁王様を飾るタイプの山門では無かった説」です!!




確かにお寺の門にはその両脇に仁王像が配されている印象が強いかもしれません。




ただ、山門=仁王様(もしくは二天像などの像)が必要という事ではありません。





しかし、一般にとっては仁王様のイメージが強かったことは想像できます。





そこに併せて飢饉のイメージの強い「天明」という時期に造られたというふわっとした歴史情報があれば。





仁王様がいない+天明期の門≒飢饉で造れなかった




と結びつくのではないでしょうか。





ただ、天明の飢饉と山門の造立が全く関係なかったかと言えばそうではなく。





むしろそこには



「何かを造ろうとしたが(飢饉のような要素で)変更があった」という意味が




含まれているのかもしれません。




それは改めて「鐘楼堂勧募」版木の中にある、




「今度山門鐘楼堂建立を企テ」という部分。




鐘楼堂勧化版木 後
*読みやすいように写真を反転させています*






これを以て、



理想的には山門と鐘楼堂を個別で造る可能性も探って計画したが、



飢饉などの要因で計画修正し、



一体型で仁王像も必要ない設計の鐘楼門を建造していったとみるとどうでしょう。






建設計画中に世情を察した寺側は、実現可能な設計に修正。



さらに



「この建設計画によって神仏の加護を得、不況を脱せる」と喧伝したのかもしれません。





だけど山門に仁王様が入る状態を完成ととらえていた人にとって、




「飢饉の影響で仁王様が入らなかった」となったのではないでしょうか。







そしてもっと想像力を膨らませるに、




「完成の姿にどこか物足りなさを感じた」と付け加えてみます。





これも古老の話しなのですが、



「お寺の門はその形状がとても珍しく、とあるお寺が




『うちでも建てたいので』といって見学に来た」という情報もあります。






ということで。




私は近隣市町村のうち、




「二層式の鐘楼門」を探してみました。





すると、二件のお寺様の山門にたどり着いたのです!!!











まずはおとなり四街道市山梨にある曹洞宗の大隆寺さま!



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そして佐倉市内(臼井台)にある日蓮宗の妙傳寺さまです。


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こちらの2寺院さまは門の両端に塀が備わっていますが、



資料で見るにおそらく宝金剛寺の門には無かったと想定します。



上記写真の門から両端の塀をなくすとどうでしょう!




どこか頭でっかちで何か物足りない印象がうかがえませんか?







そう!





そんな印象から


物足りないのは仁王様がいないから!


じゃあなんでいないのかは天明の飢饉があったから!





というストーリーが形成されたと考えられませんか?










以上の長々とした経緯から。








宝金剛寺の山門は 仁王のいない鐘楼門

立ちあがるその姿から 寺の遺風を感じとり 

重ねる歴史の厚みから 栄光盛衰を偲ばせる





と結論付けてみたのであります(´∀`*)ウフフ








長々と書いた割に構成の甘すぎる今回の連載でしたが、


どなたか異論や感想をいただけましたら嬉しいです♪

プロフィール

naoyanootera

Author:naoyanootera
千葉県佐倉市直弥にある「宝金剛寺」というお寺の住職です。
お寺の日常や坊さんとして思った事、他趣味やらをつらつらと。。

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