5月3日はラ・ク・ゴ♪


金原亭馬玉 in 宝金剛寺


(掲載用)第六回落語会チラシ


今年もモチロン落語会、あります!


日時)5月3日(水)14時開演(13時半開場)

木戸銭)600円(前売りのみ)






前売り券をお求めの方から、


「今年もそんな時期だね~」とのお声掛けがあり。


随分定着してきたなと、再確認しております!



金原亭馬玉(きんげんてい ばぎょく)師をお招きしての落語会です♪






今年は変更点があります!

昨年まであった当日券が廃止となり、

前売り(600円)のみとなります。





ということで、


当日チケットを手に入れることは出来ません!




そして、すでに前売りをお持ちの方の


「当日払うから、あと一人分追加で取っといて~♪」は、


申し訳ございませんがご対応出来ませんm(__)m









田舎のいち寺院での開催ですので、若干あたふたいたしますが。


当日皆さんにお会いできることを楽しみにしておりまーす(^^♪


展示後の図録

お彼岸です♪



当寺の玄関には今年も恒例!


檀家さんのご厚意でお花がたくさん飾られています♪♪



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ストレリチア(極楽鳥花)










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クンシラン





どちらも4月中旬くらいまで楽しめそうです!





お参りの方はどうぞ眺めていってくださいね(´∀`*)ウフフ







さて、




寺務所にて卒塔婆を渡したりお参りの方の対応をする私。




そんな中、読んだ本です!






tyuuseino.jpg
中世の古文書入門




くずし字が読めなくても大丈夫! 古文書の機能と形に着目すれば、

頼朝や信長の心の内まで見えてくる、見て楽しむ古文書ガイド! (WEBより引用)














nisemono.jpg
ニセモノ図鑑: 贋作と模倣からみた日本の文化史


おもてなしに欠かせないニセモノから人魚のミイラまで。

多彩なニセモノが文化史の深層を語る。ニセモノ図版多数! (WEBより引用)









「中世の古文書」は平成25年秋に。

ニセモノ図鑑は「大ニセモノ博覧会」として平成27年春に。


地元佐倉にある国立歴史民俗博物館(歴博)での特別展を主として扱った内容です。



文中にはとても興味深い一節がある。


 (前略)展示が終わるたび、満足感とともに、いつも博物館で行う企画展示の
最大の欠点を味わうことになる。
 それは企画展示のさまざまな準備の過程や、実際に設営中の展示場で行う展示についての工夫を
展示解説図録には掲載できないことだ。さらには、展示を行う事で見えてくる、説明・解説の不足を補うことも出来ない。
 
(「ニセモノ図鑑」おわりにより抜粋)




そう。



通常の展示で販売される図録は、展示開催より前に完成しないといけないので、


展示の様子や展示中にわかったことが反映されないというジレンマがあるのだ!








企画展示ではその準備期間中や展示中にも調査が行われたり、あらたな情報が寄せられることが案外とある。


だが、その内容は(専門的な場で発表されるとしても)図録には掲載されない。


それに、そもそも展示すべての情報を一冊に網羅しなければならないためにどうしても総論的な内容になる。







たしかに展示を観てから図録を見返すと、なんとなくその場で感じたことに関して情報が足りない印象が


ときにある。






そういった意味では、今回の2冊は画期的な本と言えるのかもしれません。








ただ、この形態が当然になると。








展示行く→図録買う→(展示終了後に)展示内容本をまた買う




となり、お財布に優しくない可能性はあるけれど・・・(^▽^;)








いずれにしても、展示を観ていない人でも充分に読めるし。



観た人はなお楽しめるというお得な本でありました!




おもむき、でました!

以前お伝えの、道路に面した部分の石組み工事が無事に整いました!



作業中の様子は→コチラ♪





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とっても慎重なその作業。



「いったい何時までかかるのかなぁ~」と思いつつ眺めていたのです。



そして。



出来上がってみればその完成度に大満足です(#^^#)




また、この工事によって。



寺から道に合流する車のすれ違いが出来る様にもなり。




見通しも含めて以前より便利になりました!






そしてもうひとつ。



造園業者さんの提案で。



残った石を使ってお堂前にも飾っていただきました♪





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少し植木のサイズ感に欠ける当寺の堂前ですが。




これによって随分安定が出たのではと思いますネ。










桜の蕾もふくらんで。



春のお彼岸も近づいています。






お寺では寺報誌の配信作業真っ最中!




まもなくGW恒例、落語会のご案内もできることでしょう(´∀`*)ウフフ










在りし日の山門(楼門)について考える 最終回

全3回の最終稿です♪

第1回は→コチラ
第2回は→コチラ



宝金剛寺の鐘楼門には仁王様がいないという伝承は・・・。






天明3年の飢饉よりも以前に発願され、



当時を記す版木にも飢饉との関連は見られないこちらの山門。



さらに仁王様が存在しないとはこれいかに?




この件では私なりの仮説があります!




それは、




「もともと仁王様を飾るタイプの山門では無かった説」です!!




確かにお寺の門にはその両脇に仁王像が配されている印象が強いかもしれません。




ただ、山門=仁王様(もしくは二天像などの像)が必要という事ではありません。





しかし、一般にとっては仁王様のイメージが強かったことは想像できます。





そこに併せて飢饉のイメージの強い「天明」という時期に造られたというふわっとした歴史情報があれば。





仁王様がいない+天明期の門≒飢饉で造れなかった




と結びつくのではないでしょうか。





ただ、天明の飢饉と山門の造立が全く関係なかったかと言えばそうではなく。





むしろそこには



「何かを造ろうとしたが(飢饉のような要素で)変更があった」という意味が




含まれているのかもしれません。




それは改めて「鐘楼堂勧募」版木の中にある、




「今度山門鐘楼堂建立を企テ」という部分。




鐘楼堂勧化版木 後
*読みやすいように写真を反転させています*






これを以て、



理想的には山門と鐘楼堂を個別で造る可能性も探って計画したが、



飢饉などの要因で計画修正し、



一体型で仁王像も必要ない設計の鐘楼門を建造していったとみるとどうでしょう。






建設計画中に世情を察した寺側は、実現可能な設計に修正。



さらに



「この建設計画によって神仏の加護を得、不況を脱せる」と喧伝したのかもしれません。





だけど山門に仁王様が入る状態を完成ととらえていた人にとって、




「飢饉の影響で仁王様が入らなかった」となったのではないでしょうか。







そしてもっと想像力を膨らませるに、




「完成の姿にどこか物足りなさを感じた」と付け加えてみます。





これも古老の話しなのですが、



「お寺の門はその形状がとても珍しく、とあるお寺が




『うちでも建てたいので』といって見学に来た」という情報もあります。






ということで。




私は近隣市町村のうち、




「二層式の鐘楼門」を探してみました。





すると、二件のお寺様の山門にたどり着いたのです!!!











まずはおとなり四街道市山梨にある曹洞宗の大隆寺さま!



IMG_20170226_125035.jpg




そして佐倉市内(臼井台)にある日蓮宗の妙傳寺さまです。


IMG_20170228_130617.jpg









こちらの2寺院さまは門の両端に塀が備わっていますが、



資料で見るにおそらく宝金剛寺の門には無かったと想定します。



上記写真の門から両端の塀をなくすとどうでしょう!




どこか頭でっかちで何か物足りない印象がうかがえませんか?







そう!





そんな印象から


物足りないのは仁王様がいないから!


じゃあなんでいないのかは天明の飢饉があったから!





というストーリーが形成されたと考えられませんか?










以上の長々とした経緯から。








宝金剛寺の山門は 仁王のいない鐘楼門

立ちあがるその姿から 寺の遺風を感じとり 

重ねる歴史の厚みから 栄光盛衰を偲ばせる





と結論付けてみたのであります(´∀`*)ウフフ








長々と書いた割に構成の甘すぎる今回の連載でしたが、


どなたか異論や感想をいただけましたら嬉しいです♪

在りし日の山門(楼門)について考える 2/3

さぁ♪




宝金剛寺にかつて存在した山門を想像する第2回目です。




前回分(コチラ→)をご覧いただくと、その全体像が



「それほど大型でない二層式の鐘楼門」ということがわかると思います。






そしてその姿を想像する前に。




その門はいつの頃のモノなのか?という部分です。





これについてはとても重要な版木が残っています。




「鐘楼堂勧化」と銘する2枚一組の版木です。




鐘楼堂勧化版木 天明元年(1781)




2枚目に天明元年(1781)と刻まれ、



文中は寺の開基縁起から始まり



(前略)去る午ノ年 鐘鑄成就ヲワンヌ 仍而 今度山門鐘楼堂建立を企テ


一チ座ノ護摩修行シ 念願成就セント
(以下略)と刻まれ、




つまり天明元年に(午年に完成した鐘に続いて)山門鐘楼堂を造ろうと呼びかけた内容です。


鐘楼堂勧化版木 表題部分
版木表題部分







更に文面の「午ノ年 鐘鑄成就ヲワンヌ」ですが。



版木の年号である天明元年(1781)からさかのぼって一番近い「午ノ年」とは。





7年前にあたる安永3年(1774)が干支でいうところの「甲午」





そう!つまり前述の「鐘勧進記」の鐘を指すと比定できるのです!





ここで山門の製作年代もわかり、いよいよ全貌に迫るのですが。






もう少しお待ちください!!




私が当寺の門について以前から古老によってよく耳にしたワードを忘れてはいけません。





それは、「仁王様がいなかった」ということです。





これは複数の方から聞かされた言葉でして、




地元の伝承や民話などをまとめた石田肇(故人)筆「北総の或農村物語」(昭和62年刊)でも。




「宝金剛寺(直弥)山門(今はない)建設についての伝説」(P88)という項目に



(前略)天明三年(1783)には大飢饉があった。従って食糧事情は極度に悪化しただろう。

(中略)宝金剛寺は職人救済の意味を含めて山門を新築したとの伝説がある。

かつての山門は立派な材料を使った豪華なものだった。飢饉のため仁王様は入れなかった由。





との記述がありそれを裏付けます。





IMG_20170307_174006.jpg







ただ。



いわゆる天明の飢饉とは天明2年秋頃からの長雨によって発生するもので、




版木に刻まれた天明元年では、まだこれにあたりません。




また、少なくとも銘文には




「息災延命 子孫繁栄 富貴自在 如意満足」という大願は書かれますが、




飢饉あるいはそれによる職人の救済という具体的な願意は見当たりません。





さて、ではこういった伝承はどこから連想されてきたのでしょう?








次回(最終回)に続きます♪



プロフィール

naoyanootera

Author:naoyanootera
千葉県佐倉市直弥にある「宝金剛寺」というお寺の住職です。
お寺の日常や坊さんとして思った事、他趣味やらをつらつらと。。

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