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ゆうごうの「目指せこころあつまるお寺!」

千葉県佐倉市直弥にある「皓月山 宝金剛寺」住職 京極勇剛の部屋

 古文書からみる「江戸から明治へ」

江戸時代から明治時代へ移り変わったのは今から約140年程前。

いろんなことが変わったらしい。

そんな変革の一端を表す文書を見つけました!





お寺に伝わるたからもの その㉑

古文書『乍恐以書付御歎願奉申上候』辰(明治元・1868年)11月 銘




全長117㎝の長~い嘆願書です。


乍恐以書付御歎願奉申上候(前)
前半部


乍恐以書付御歎願奉申上候(後)
後半部




〈文書の説明〉

慶応3年(1867)の「大政奉還」や「王政復古の大号令」により江戸幕府がなくなると、
明治新政府は旧幕府領・藩領の林野を引き継ぎ、さらには寺社領の没収(上知)も進めることになりました。
このような状況において、寺社側は没収される可能性の高い寺領のなかの森林を伐採し、
建物の修繕を名目として売却するという対策をとりました。
この文書は当時の宝金剛寺住職である33世盛範が、現在の佐倉市和田地区を中心とした各村の名主らとともに、
寺領のなかの立木伐採についての願書の下書きです。時代の変革に対応を迫られる当時の様子がうかがえます。





つまり、

A)「ねぇ聞いた?明治とかいう時代になって新しい制度で国に土地を没収されちゃうらしいよ!」


B)「えぇぇ?!そりゃタイヘン!!なんとかならないの?」


A)「せめて植えてある木だけでも確保しようよ!」


B)「うぅん、背に腹は代えられないなぁ。でもどうやって?」


A)「今ある建物が傷んできていて、ちょうど植えてある木を用材に改修するってことでどぉ?」


B)「よしっ!さっそくそのカタチで申請しよう!」





                って感じでしょうか。












(´ゝ∀・`)ノ□■□■□■□■□■□■□(以下、解読文)■□■□■□■□■□■




乍恐以書付御歎願奉申上候

一 拙寺儀承元弐辰三月開基以来六百有余年之間
  御治世御代相替候節之門末寺禄旦中宮社支配等
  減少仕生ニ而薄禄ニ罷在候処、尚亦当時門末九ケ寺有
  之候内、当村多宝院・寒風村東福寺・八木村不動
  院・下勝田村西光寺・上別所村円明院・天辺村宝
  寿院本末合七ケ寺之儀者大破修覆等之節者支
  配之宮社立木御願之上伐取用材仕旦中并村方
  之助成ニ而修覆相続罷在候処、今般従
  太政官別当社僧御廃止被為 御出候儀ニ付宮社之
  儀者大篠塚村広福院・高崎村正乗院元来無檀ニ
  候得者神職ニ取立配分支配為仕申度趣先達而御窺
  奉申上候、然処右門末六ケ寺之儀者至而薄禄之貧
  寺ニ而居住之僧侶衣躰之資ハ勿論学業茂行
  届不申候ニ付、無住而巳相嵩罷在候処、尚此上神仏混合御
  廃止相成候得者弥旦施も薄く相成候間困窮少数之
  旦家共ニ而者修覆行届不申候ニ付、退転之基与数
  数百年来有来之寺院破滅甚タ嘆レ敷奉存候
  ニ付旦中并村内相談仕候得共如何与仕損無之候間無
  拠是迄本業支配之宮社立木之内御願奉申上蒙
  御見分ヲ下木伐取売木仕様被為 仰聞右代金を以
  聊成共後年修覆之手当ニ致し置居住之僧侶学業
  相励国家之御恩沢為奉報度奉存村々連印を以
  御歎願奉申上候間、何卒格別之以御憐憫ヲ右願
  之通被為仰聞被下置候ハヽ寺旦一同莫太之御慈悲と
  難有仕合ニ奉存候、以上

   辰十一月             直弥村
                   本寺
                    寶金剛寺

  右宝金剛寺奉願上候通相違御座候ニ付一同
  連印仕奉差上候、以上

                    直弥村
                      旦中惣代
                        利右衛門
                       同
                       百姓代
                        与右衛門
                       組頭
                         半 平
                       名主
                         新 七
                                                     
                    八木村
                       百姓代
                        治兵衛
                       組頭
                        磯右衛門
                       組頭
                        勘右衛門
                       名主
                        弥左衛門

                    天辺村
                       百姓代
                        七郎兵衛
                       組頭
                        橘兵衛                       
                       名主
                        重三郎

                    下勝田村 
                       百姓代
                        七郎兵衛
                       組頭
                        治右衛門                                               
                       同
                        利右衛門
                       同
                        恒右衛門

                    上別所村 
                       百姓代
                        庄兵衛
                       組頭
                        長左衛門                          
                       名主
                        伝五郎
                       

 御役所様

   慶応四年改元
 右者明治元年神仏混淆御廃止之旨朝廷御一新変革
 ニ付領主相模守様江差上候御歎願書下書也
                 宝金剛寺 三十三世 盛範代




(´ゝ∀・`)ノ□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■














後半部分に書かれた名主や組頭の名は、現在でも屋号として残っております。



乍恐以書付御歎願奉申上候(直弥部)






時代と共に変わる様相や価値観。

教科書で知るような歴史が、自分たちの今住んでいる場所でも展開されていたのですね♪




尚、当文書は本堂内『宝金剛寺を伝えるもの -近世から見るカタチ-』にて常設することにいたしました。

それに伴って他の展示内容も若干リニューアル♪

ご興味のある方はどうぞご覧になってみてください(^^)/














文書解読及び展示用キャプションの構成について、

 佐倉市総務部総務課 土佐博文 様(市史編さん担当)のご協力をいただきました。

 御礼申し上げます












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