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ゆうごうの「目指せこころあつまるお寺!」

千葉県佐倉市直弥にある「皓月山 宝金剛寺」住職 京極勇剛の部屋

 「犬供養」という民間信仰


少し前、地元ミニコミ誌「社協わだ」にて、拙駄文が掲載されました(#^.^#)



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地元周辺に伝わる「犬供養」とよばれる民間信仰についての内容です。

この紙面には私が当区の社会福祉協議会福祉委員を押し付けられて仰せつかっている関係上、

会内の広報部員として年に1・2回「文化・伝承再発見」というコマをもらっているものです。
(前回の掲載分は→コチラ





通常は文字数も少なくさらに「京極さん、とにかく簡単にね♪」と念を押されているために

どうしても概要をなぞるだけの文になってしまいがちなのですよ。

でも、今回は前半・後半と続きで書けることになったのですこし書きやすかったかなと♪



まぁ、「文字数気にせずみっちり書いちゃってください!」って言われちゃっても困るので、

そのへんは無いものねだりなのですが(;´∀`)




今回書いたこととは関係なく偶然なのですが、この「犬供養」について遠方の方からご質問をいただきました。

こういった「客観的には評価されるけど、当事者たちはそれほど(意義を)感じていない」ものってよくあるのかな。




興味深い伝承ですねと評価してくれる人。

すでに過去の産物のようにとらえる当事者周辺の人。

興味ないしフェードアウトさせてゆきたい当事者である地区の人。



この温度差はけっこうありそうですね。


私が思うに当事者の中にも

大変だけど続けて欲しい・・・といういサイレントマジョリティー(声無き声)も存在すると思うんですけど。

ただ、あくまで生きる行事であって欲しいし、

冷凍保存するようでは意味が違いますよね。



それをふまえて私のスタンスは



元々必要性があって始まり、用途があって続いてきたものですから、

必要が無くなってしまったのならば消えてしまうのも一つの流れでしょう。

でも、消してしまう前に本当の意義を知っているのか?

知ったうえであえて消したいのか。

もう一度考えてからでも遅くない。



って思ってます。




そんなイキって言うほど自分に何か出来ている気はしませんが。

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