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ゆうごうの「目指せこころあつまるお寺!」

千葉県佐倉市直弥にある「皓月山 宝金剛寺」住職 京極勇剛の部屋

 月に一度のお勉強

大雨が過ぎました。

当寺の周辺には大きな被害はありませんが、

主に北関東は被害甚大です。

自然の猛威とは全く恐ろしいですね。






さて。お盆の忙しモードでしばらくご無沙汰だった「宝金剛寺の文書を読む会」に参加してきました♪




IMG_8151.jpg
皆さん、真剣です♪



今回の文書は漉き填めという技法で修復されたものなのですが、

もともと破損・虫食いが多く。


歯ぬけ状態の文書解読に皆さん四苦八苦です(*_*;






そしてワタクシめは、前回頂戴した質問に答えます。

それは、当寺の「釣鐘」と「山門」について。



このことは、皆さんが読んだ当寺所蔵「鐘勧進記」という文書に端を発します。



②鐘勧進記(安永3年)1 表紙
「鐘勧進記」安永3(1774)年 表紙


②鐘勧進記(安永3年)2
内容の一部




当寺には老朽化によって戦後すぐに解体された「鐘楼門(山門)」がありました。

そしてこの門の二階には釣鐘があったようですが、その鐘は戦中に供出され現存しません。







つまり現在は「姿も形もない」ということ。






ただし、幾つかの記録をすり合わせると、その形が浮かび上がってきました。





釣鐘について

・90貫目(約337㎏)・中径(口径)2尺3寸(69㎝)。

・鐘に係った費用は42両。

・檀信徒に勧化を求め、安永3(1774)年3月に完成。同4月8日に供養。




鐘楼門(山門)について

・鐘楼門は間口三間半奥行三間(二間とも)の二層造りで萱葺。

・天明元(1781)年11月に建立を計画し、完成は寛政元(1789)年11月18日。




これらの事実は、上記「鐘勧進記」の他。




鐘楼堂勧化版木(上・下版) ・・・天明元年銘

寺有財産簿           ・・・明治36年12月

宝金剛寺敷地位置図     ・・・昭和初期

小出古城(1868-1949)著 彌冨附近誌 下 ・・・昭和初期 


     *著者名の無いものは全て宝金剛寺所蔵
     *「彌冨附近誌 下」の資料は八街郷土史研究会より提示いただきました





    以上の資料から拾い、つなぎ合わせた内容です。




うふふ。

だいぶ山門の姿が浮き上がってきましたね(#^^#)

こういうことが、日頃コツコツ地道に調べを積み重ねた結果です!





本日で、以前提供の文書を全て読み終わり、次の文書群へ。

今回までの解読データは、バックアップしていただいている有識者の方々にお渡しし、

資料の精査がなされます。







会の皆様。お疲れ様でした。

そしてまた、これからもよろしくお付き合いの程を♪♪







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