Welcome to my blog

ゆうごうの「目指せこころあつまるお寺!」

千葉県佐倉市直弥にある「皓月山 宝金剛寺」住職 京極勇剛の部屋

 在りし日の山門(楼門)について考える 1/3

宝金剛寺には、かつて山門があったそうです。





「そうです」という表現からわかるように、私は知りません。



地元の方の話によると「だいぶ痛んでいて、危ないために戦後に解体した」とのこと。



今回は、この宝金剛寺山門を想像してみます!





山門(さんもん)とは・・・

三門(さんもん) – 仏教寺院の正門。寺院は本来山に建てられ山号を付けて呼んだ名残りで、

平地にあっても山門という(Wikipedia)





ひとことで山門と言ってもその形は唐門・楼門・竜宮門など様々ですが、



当寺の山門は楼門(下層に屋根のない二階建ての門)であったようです。




さらに階上が鐘撞堂になっているいわゆる鐘楼門(しょうろうもん)と予想されます。




これは、地元古老の「門の二階にかけばしごで登った」といったお話や、


当寺所蔵文書による記載によって導き出されるものです。








IMG_20160428_152019.jpg
宝金剛寺敷地位置図」(近代)の主要部







一部には山門と鐘撞堂は別々に存在したという証言もありますが、



境内の広さや、他の史料など総合的に鑑みて。




やはり一体型の鐘楼門タイプというのが現在の私の判断。








そしてこの門は、近隣にしられる立派な門であったらしく。



曰く「(門の)丸柱が抱え込む様な大きさだった」とか、



「(大きく背が高いため)門の下が涼しくて、農作業の休憩所に使った」といった証言しかり。



あるいは大正2年刊行の印旛郡史では、



当寺の説明として

「(前略)老杉天に冲し 鐘楼高く聳江 客殿の壮麗 庫裏の広壮 千載の松樹自ら昔を語る(後略)」



とあることからも、それを裏付けます。







こう聞けば「さも雄大な山門ではないか!」と、観光寺院などにある超大型の門をイメージしてしまうのですが。




残念ながら(?)、大きいとはあくまで近隣規模であって、そこまで大型ではなさそうです。






なぜなら、門に使用したのサイズがわかるからです。





これは、当寺文書の内「鐘勧進記」によって安永3年(1774)に鐘が造られたことがわかり。




併せて「皓月山舊記留」という明治期の文書にも記述があり、そこにはサイズが記載されます。





②鐘勧進記(安永3年)1 表紙










IMG_5590.jpg








文中「貳尺三寸」とあり、鐘の直径が約70㎝と読み取れます。



これはいわゆる梵鐘としては大型とまではいえず。






あるいは八街郷土史研究会編『小出古城執筆私本合冊』内、「宝金剛寺」記録にある

筆者の小出古城(1868-1949)には


山門は間口三間半奥行二間の二層造 萱葺屋根にして古色蒼然として屹立す

(中略)長屋門ありて 山門と相竝ぶ 此 長屋門は恰も富豪農家に在る長屋門の如し

寺の建造物としては少し珍奇を感ず(後略)」
 とあることからも。





二階に吊るす鐘のサイズと境内のサイズ感からイメージできます。







そしていよいよその門の姿なのですが。






ずいぶん長文になってしまいました関係上、



続きはまた次回という事で(笑)




















関連記事

0 Comments

Add your comment