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ゆうごうの「目指せこころあつまるお寺!」

千葉県佐倉市直弥にある「皓月山 宝金剛寺」住職 京極勇剛の部屋

 偉人の足跡

充実だど~ あっはっは

寺務もしたし卒塔婆書いたし、草刈りしたし、水撒きしたしぃ♪

頑張った感のある一日。

いつもこのくらいやらなきゃねヾ(~∇~;) コレコレ









お寺に伝わる宝物④
『石川 照勤 書簡(イシカワショウキン ショカン)』*通常非公開



IMG_2907.jpg

前略  明后十一日上京、
川崎法事、本派顧問会
等にて凡ソ二週間程滞在
に付、御含み置き相成度、帰山
の上は更ニ御通知可申候
へ共、在京中若し用事あらば
例の通り深川へ申越し
相成度候、早々

六月九日      石川

乙松殿

(翻訳:佐倉市 市史編さん担当 副主幹 土佐 博文 様)





石川照勤(1869-1924)は新勝寺の貫首として地域の文化・教育事業をおこした明治期の高僧。


成田市に、成田山新勝寺という真言宗の寺があり、人々から「なりたさん」と親しまれ、信仰されています。
 明治時代、新勝寺の貫首である石川照勤上人は、地域の文化・教育事業を興しました。今日、成田山の五大事業といわれるもので、成田中学校(今の成田高等学校)、成田山女学校(後の成田高等女学校)、成田図書館(今の成田山仏教図書館)、成田幼稚園、成田山感化院(今の成田学園)をつくったのです。また、成田山公園も造り始めています。照勤上人は、明治2年(1869)10月10日、印旛郡坂戸村(今の佐倉市坂戸)に中村又十郎の次男として生まれました。幼名を兵蔵といいました。やがて、埼玉県川越にある本行院(川越市)住職石川照温の養子となり、石川姓を名乗ります。照勤上人にとって最初の修業は、印旛郡直弥村(今の佐倉市直弥)にある宝金剛寺でした。ここで約半年間修行した後、京都で学び僧侶としての就学課程を修了しました。明治27年(1894)1月31日、照勤上人が24歳のとき、照鳳上人の後を継いで、成田山中興第15世となりました。明治31年(1898)3月、照勤上人は、欧米に留学しました。留学に先立って、上人は集まった塾生に「世界に向け、志を大きく持つように」と話しました。明治33年(1900)に帰国した照勤上人は、成田山の興隆と地域の文化・教育事業に着手し生涯にわたって心血を注ぎました。
 照勤上人は、事業の発展を見届け大正13年(1924)1月30日に55歳の生涯を終えました。


佐倉市教育委員会発行 「佐倉市郷土の先覚者」 シリーズ 小事典Ⅰ より引用




石川照勤師出生地区にお住まいの方による個人蔵でしたが、平成22年に宝金剛寺へ寄贈していただきました。



住職所見:
 明治期までは僧侶の修行道場であった宝金剛寺。当時の教科書(教本)や作法に使用した品(潅頂曼荼羅等)も
 残される中、私にはいまいちピンとこなかったが、師の存在と当資料の寄贈経緯はあらためて当寺院の歴史に
 敬意を持てるものである。「ほうこんごうじさんが持っててくれれば安心だ」といってくれたIさん(寄贈者)に
 あらためて感謝♪




今後ともコツコツUPしてまいりますので、皆さまのあたたかいご支援と書き込みをお待ちしております
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