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ゆうごうの「目指せこころあつまるお寺!」

千葉県佐倉市直弥にある「皓月山 宝金剛寺」住職 京極勇剛の部屋

 考えるるる


もうすぐだね~ あっはっは



もう発送したくとも寺報紙『蓮想』の校正が終わりませぬ…「(´へ`;ウーム

何せ、編集長も記者も発行者もオイラですから(4コマ「こくうぞう君」は友人作)もうなにしろオイラ次第!!

ひねり出せ!しぼり出せ!!でも放りだすな(笑)

そんなこんなの今日この頃です ┐(-。ー;)┌ヤレヤレ








お昼頃、とある葬祭業者さんと意見を交わす機会がありました。

お盆の事や、葬儀の事。現在の事や今後の事。

有意義な意見交換だったと思います。



物事の合理化や標準化。

『家族葬』あるいは『直葬』といった言葉が出回る中、

世間にとって耳触りのいいこれらのフレーズが先行し、結果思いもよらぬ形に進んでく。





例えるならば

夕飯のおかずを作る行為と時間を無意味だと感じたある母親が、おかずを減らして栄養剤を摂る事にし、
そして栄養剤のみになる。手間も時間も労力もかからなくなり、便利で簡単な事に喜びながら、
気が付けば人間性をうしなってしまう。










結論的な私見を述べると。

寺院はこのままの葬送儀礼依存形態ではきっと行き詰まると思う。

しかし、葬送儀礼はいついかなる時も本当に重要であると思う。

お寺の懐が潤うためのような循環は間違っているが、極端な形式否定はその人たちへおおきなしっぺ返しが来ると思う。

そんな感覚を持ちながら、現時点では「これだ!」というところまで明確に説明できない菲才なオイラ。







葬送儀礼とは何か?送る想いは不要なのか??

変わりゆくものとつなぎたいもの。かたち。

本当の形とは何か?そのためにお寺(坊さん)が出来ることとは?



そんな事をあらためて感じながら話せたような気がする♪

またよろしくネ (^ー゚)ノ








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