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ゆうごうの「目指せこころあつまるお寺!」

千葉県佐倉市直弥にある「皓月山 宝金剛寺」住職 京極勇剛の部屋

 考えさせられる

佐倉・城下町400年記念協賛事業
『みたい!しりたい!佐倉の歴史♪ in 直弥のお寺』

明日→10/2(日)PM2:00~
*下勝田区所蔵獅子頭(元禄12年銘)公開決定!! お気軽にご参加を!!





なるほどね~ あっはっは




みなさん。お寺の住職専門誌をご存知でしょうか?

はい!あるのです♪

それは『寺門興隆』という月刊誌。



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その中で、今をときめくベストセラー作家であり僧侶:小池龍之介師の連載の中で
“ネット幻滅のススメ”という文があり寺院(僧侶)のHPやブログに対する論考があった。
(2011年9月号)


非常に興味深かったので少し引用してみたい。





師は“(仏教者の)インターネットの効用というものに極めて懐疑的”としたうえで。

まずその分類分けとして



えてして仏教系のウェブサイトというのは、「過度にかしこまった内容が載っているだけで、主なネットユーザーの興味を引かなそうなもの」か、「くだけていて親しみやすいかわりに、僧侶個人の私的談話や日記がひたすら綴られているもの」に二分されがちなように思われます。




とする。

そして。




前者には、時間と労力をかけてまで作成する価値があるのか疑問がある



と考察する。

オイラも確かにたくさんの寺院WEBを覗いてみて、「こんなにこむずかしい寺の縁起とか、
いかにここのお寺が歴史的価値があるかとか長々書いて、いったいだれが読むんだろう?」と思っていた。

だからオイラのブログは「権威ぶらないで等身大のあるがままを書こう」なんで考えながら始めた経緯がある。


しかし師は、こういったオイラのようなスタンスのものにもこう述べる。



仏教者にとって(中略)「今日は法事をがんばった」とか、そういった日記を記して他人に見てもらう必要は、
必ずしもないはずです。(中略)それによって仏教の本質的メッセージが伝わるとはとても思えません。





と断罪する。


さらに




ましてや、ネット上での発言は多数のユーザーに“見られ、評価され”ることになるため、いわゆる双方向性的なやり取りの結果として、たいていは一喜一憂する羽目になるでしょうから、それは明らかに修行の邪魔になることでしょう。


とし


私的な情報を発信するのは、心を乱すデメリットの方が多いように思われます。


と位置づける。




その上で



更新にかける時間はなるべく短くして修業にあて、更新頻度は少なめにしし、私的日記や私的感情は記さない、というルールを課しておけば良い。(中略)もしも、私的内容内容を記さなければ、何も書く事がなくなってしまうとしたら……?そんなときの対応策は、簡単です。何も書かなければ良いのですから。





と締めくくるのだ。






う~ん。。。



するどい考察何だろうケド…。



オイラからすると、オイラはそもそも「みんなに(オイラの事)注目してほしい♪」とは思っていない。

そして確かにおいらのような薄っぺら坊主は「思った事を書く」はずが「書くために思う」となってしまう事も多い。

でも、「思う事で考える鍛錬にもなるだろうし」ととらえているし、

そのキッカケであればいいのではと思ってしまう。


そして、オイラが“坊主”というフィルターを通して発信することで、

読んでくださる相手が、“仏教”的な何かを感じたり感じるきっかけに出来れば幸いだと思う。


でも、師の論考では




お寺(お坊さん)の発信するもの=100%のブディズム(仏教・仏法・仏道)でなければならない。

でなければ発信しなくてよい。それよりも修業しよう。






と、いわれているような気がする。



たしかに師は勉強も出来て、瞑想能力にも長け、日夜ひたすら研鑽に励んでいるのだろう。



しかし、そこまでの能力を持ちえない坊主は発信できないのだろうか??

もしくは、発信しながら研鑽してはいけないのだろうか?





師は、自身でお経を唱えず、葬儀・法要にかかわらない僧侶としている。

そして父の後をついで浄土系寺院の住職となり、

この寺院を宗派から独立させて単立寺院としている。




これは自らの修行のためなのだろうか?

だとしたら、宗旨や檀信徒(門徒)や本堂は自らの修行のために存在するのか?

葬儀やお経が自らの修行に足らないと判断するのだろうか?






確かに檀務をこなすことに精一杯で、自己研鑽どころではない坊さんはいる。

でも、逆にその方が檀務を放棄して自己探求に没頭することが、必ずしも(自分以外の)為になるのだろうか?




オイラが住職に就任したのは20代後半。

こんな若造が偉そうに住職という肩書を持つことにもの凄く葛藤があった。

「もっと立派な人がゴマンといるのに」と委縮してばかりいた。

でも、どんな経緯であれなった以上は胸を張らなければ、ここのお寺に関わる人に申し訳ないとの結論を持った。

だから普段は自分を「無能な超凡人かそれ以下か」と分析しているが、

壇務等で読経をしたり修法をするときは「オイラはみんなを救えるパワーをもったナイス僧侶」と信じている。



僧侶として自己完成するまで発信しないのでは、きっと自分は一生しない。









きっと(絶対)すごーく頭が良いだろうし、すごーく勉強しているだろうから、

オイラごときの意見は簡単に論破されてしまうんだろう。




でも、なんか悔しい。


オイラは自分の非力さを正直に認めつつ、だからといって現在の立場を放棄することなく、

その矛盾と向き合って、日々坊さんをしている。



葬儀ってなんだろう?寺院って何だろう?檀家制度って何だろう?仏法ってなんだろう?


そんな事に素晴らしい結果は出せないけど、日々坊さんをしている。


ただそれだけ♪


ブログだってただその一環なのにネ♪♪






ちょっとアツくなっちった (〃⌒ー⌒〃)ゞ












みなさんはどのようにお感じになるのだろう???????





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6 Comments

satock  

住職は今のスタンスのままで行けば良いと思いますよー
僧侶だって日々の小さな出来事に一喜一憂するんだという、そういう親しみやすさって、私は素敵だと思うけどなぁ。
完全に達観しちゃってて近寄りがたい人よりも、私は断然良いと思うけどなー

2011/10/01 (Sat) 22:24 | EDIT | REPLY |   

uchikoba  

お坊さんに限らずですが、ブログでもツイッターでもfacebookでも、興味があるなら(出来るのなら)どんどんやってみた方がいいと思いますが。
やってみて上手くいく、いかないもあるだろうし、その人の体質に向かなければやめればいいし。
普通の人にはわからない世界なだけに同じ悩める人間なんだなーと思えて、こちらのブログは個人的にはいいなと思います。
日々の生活綴ったっていいじゃない。(笑)

2011/10/01 (Sat) 23:54 | EDIT | REPLY |   

naoyanootera  

Re: タイトルなし

satock様。

> 住職は今のスタンスのままで行けば良いと思いますよー

ですよね。今ぐらいのユルさと今一歩感が自身の持ち味だと思っとります!


> 僧侶だって日々の小さな出来事に一喜一憂するんだという、そういう親しみやすさって、私は素敵だと思うけどなぁ。
> 完全に達観しちゃってて近寄りがたい人よりも、私は断然良いと思うけどなー

大丈夫!一生悟れませんからつまり達観いたしませんっ(笑)



アリガトーございます♪

2011/10/02 (Sun) 20:23 | EDIT | REPLY |   

naoyanootera  

Re: タイトルなし

uchikoba 様。


そのうちケイタイも“らくらくホン”にしちゃおうとか考えるアンチ最新鋭機器の私ですが、
今後ともご指導・ごプロデュース宜しくお願いいたします<(_ _)>

うん!綴る♪

2011/10/02 (Sun) 20:26 | EDIT | REPLY |   

りょう  

拝読しました。

まだ小池師の本は読んだことがないので
師の思想についてはなんとも言えないのですが、

このログを読む限りnaoyaさんの指摘には共感します。

確か、小池師はブッダの修行に帰るべきだとの考えをもち、実践もされていると思いました。
それはそれで素晴らしいことだと思いますが、自身の生き方を貫くために、
自坊、檀家まで巻き添えにしていいものでしょうか。

>葬儀やお経が自らの修行に足らないと判断するのだろうか?

もし葬儀や読経が邪道というなら、
深山幽谷か上座部仏教の国でも行ってひたすら自己究明をされるのがよいでしょう。

ともあれ、小池師の存在は、既成仏教のあり方に一石を投じるという意味では、極めて貴重ですね。
読んでみたくなりました。って確か積読になっていたような^^;

2011/10/09 (Sun) 14:37 | EDIT | REPLY |   

naoyanootera  

Re: 拝読しました。

りょう 様。コメントありがとうございます。


> 確か、小池師はブッダの修行に帰るべきだとの考えをもち、実践もされていると思いました。
> それはそれで素晴らしいことだと思いますが、自身の生き方を貫くために、
> 自坊、檀家まで巻き添えにしていいものでしょうか。
>
> >葬儀やお経が自らの修行に足らないと判断するのだろうか?
>
> もし葬儀や読経が邪道というなら、
> 深山幽谷か上座部仏教の国でも行ってひたすら自己究明をされるのがよいでしょう。


ですよね!
上座部と大乗というウエートの置き方の違いなのでしょうか?


> ともあれ、小池師の存在は、既成仏教のあり方に一石を投じるという意味では、極めて貴重ですね。
> 読んでみたくなりました。って確か積読になっていたような^^;

はい!実際に著書が多くの人の共感を受けているという意味でも、意見としては貴重ですよね。
一般の方が評価して、僧侶が非難するとしたら、それは非難する側にも普通の感覚との乖離があるかもしれませんものね。


このブログに偉そうに書いておきながら、「オイラ如き愚僧がこんな発信大丈夫か?」とビビっておりました(笑)

りょう様のような見識が高いご尊師に共感いただき光栄です♪♪

2011/10/09 (Sun) 18:54 | EDIT | REPLY |   

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