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ゆうごうの「目指せこころあつまるお寺!」

千葉県佐倉市直弥にある「皓月山 宝金剛寺」住職 京極勇剛の部屋

 初めて始めに

お通夜のお勤めをいたしました。


オイラの通常としてのお通夜は

司会者のアナウンスで入場 → 読経 → お喋り(法話)→ 退場 → 会食に参加  という流れです。

だからどうしたと言われるとそれまでなのですが(笑)


一応自分なりの根拠というか意味付けみたいなものがあったりします♪






というのも。





オイラの心持として“しっかり(その空間)に入りたい”タイプでして。

それでいてお通夜のトークはかっちりとした『法話』っていうより柔らかい『坊さんの一言』を目指していますし。

そもそも“経”こそ本位で“言葉”がそれを越えてはいけないというイメージからこういった構成になっているのでしょう。





しかし本日は、

読経前にお喋り(法話)をしてみました。


内容は
「お通夜ってきっとこんな事。坊さんと親族と会葬者が一緒にそのイメージを共有できたらイイですね♪」みたいな事。

これは。

葬儀の打ち合わせの際にお施主(故人の娘)さんが何気なく
「通夜・葬儀って分けると2日かかるからまとめられないのか?」のようなニュアンスの御質問をしてくださったからです。

その時は
「まぁ、通常通りの慣例で進んだ方が、後々心残りしませんよ」みたいな表現でお茶を濁したけど。



(そりゃあ案外と的確な疑問なんだろうなぁ)とも思ったのと同時に、

(オイラの中では明確な訳があるのになぁ)との思いも混みあげてきたし、

(それを伝えられないと疑問の解消にはならない)とも思ったからです。



だから。


(読経前に主旨を伝えられれば、通夜とか葬儀とか、もっと心のこもった行いと成るだろう)との意向からなのです。


という訳で本日は、

読経前にお喋り(法話)をしてみました。






オイラの話した内容が本当に間違いないかなんて確証ないし、しっかりと聞き手に届いたかの確認も出来ない。


でも、


オイラはみんなと同じ時間を共有している儀式が尊いと思うし、

オイラ自身の僧侶スキルはともかくとしても。

みんなで共有したやさしい気持をご霊位様にとどけることが、

僧侶という立場のオイラには出来ると思っている。




聖観音(微笑)







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