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ゆうごうの「目指せこころあつまるお寺!」

千葉県佐倉市直弥にある「皓月山 宝金剛寺」住職 京極勇剛の部屋

 亡くなる悲しみ会えた悦び


お通夜のお勤めをいたしました。





最近葬送儀礼で特に心がけている事があります。

それは、

“亡くなる悲しみよりも、いままで会えていた悦びを伝えられないか”という事です。


家族・親族を亡くすというのはモチロン悲しい事です。

でも、それは大切であったからこそだとも考えられる。

だとしたら、大切に思わせてくれた悦びを感じたい。


そんな事を言っちゃえるのは宗教者でしかないのかもしれないのだからネ。





近年の業者主導の式でおこりがちないたずらに悲しみをクローズアップさせるようなセレモニーは本当なの?







もちろん悲しくて残念でというのはいうまでもないまぎれもない事実。

でも、

悲しみを見せつけるあまり、現実を見たくない意識で葬送儀礼を敬遠するとしたら本末転倒だと思わない??

ヘタしたら「辛いだけだから、やらない方が良い」と、なってしまわない?




そんな時、仏教というコンテンツなら、失望を法悦に昇華させられるはずだよね!

きっと元来はそういうものだろうし!!

故人と感謝したいから行う儀式だと感じられれば、きっとみんなないがしろにしなハズだよ!!



そんなだいそれたイメージを持って葬送儀礼に臨んでいます。




しかし一般的に、葬儀(通夜)は悲しみに伏せるとされるもの。

だから、一気に“悦びましょう!”みたいテーゼではいけない。

仕事で来たというだけのKYな坊主になってしまう。

気をてらったような斬新さも必要でない(*むしろ一番ダメ)

悲しみに寄り添いつつ、その気持ちの方向性を自然に感謝という流れに進めていきたい!!




いや、もちろん思ってるだけで、実際そんな理想通りに行くほど立派な坊主じゃないっす!!

むしろナサケナイほど能力不足を認識している愚僧である。。。




それでも、思わないよりも思う方がいくらかましだと思うゾー


そのぐらいである (*¨)(*・・)(¨*)(・・*)ウンウン





今日の読経後のトーク(法話)でもそんなテーマで話したつもりです。




刈りたての頭は寒いが、胃袋はアルコールであたたかい。

そんな矛盾と一緒かな♪♪


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