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ゆうごうの「目指せこころあつまるお寺!」

千葉県佐倉市直弥にある「皓月山 宝金剛寺」住職 京極勇剛の部屋

 小さなきざしとやさしさ






あれからもう1年が過ぎました。





あっという間でしょうか?それともやっとここまでという印象でしょうか?



いずれにしても1年。月日というものは否応もなく過ぎてゆくものです。








本日は第壱周忌。



各回忌にはそれぞれ守り本尊様がいらっしゃいますが、第壱周忌は“勢至菩薩 セイシボサツ”様。


智慧の光明で一切を照らし、我ら衆生の中にある迷いの気持ちを晴らしてくださるとされる仏様です。





そして、壱周忌はまたの名を“小祥忌 ショウショウキ”ともいいます。


“小”は“ちいさい”

“称”は“めでたいまえぶれやそのきざし”


つまり“小さいよろこびのめばえ”とでも言いましょうか。









何かを失った事実は、言うまでもなく悲しいことであり苦しいことであります。


それ自体をよろこべるべくもありません。




ただ、


少し考えてみると。


失った事によって初めて大切だった想いに気付かされたり。


もっと言うと今までたくさんのよろこびをさずかっていただけ、

それが過去となってしまった悲しみが深いのかもしれません。




でも、その“よろこび”は実は失っていません。



あなたの心の中にあるはずです。





あんなに苦しかったのに。


昨日よりは呼吸が爽やかだった事があるはずです。


あんなに悲しかったのに。


昨日よりは目覚めが心地よかった事があるはずです。




悲しみという冷たい風をしのいでいくと、


やがてあたたかい日差しを受けて芽吹いてゆけます。




それはひょっとして、悲しみがいざなってくれたのかもしれません。


もしそうだとしたら。


悲しみという闇の中によろこびの光があるからなのでしょう。





あれから1年。



あいかわらず全てが上手くいくはずもないけれど。


ちょっとした事に感謝出来たり、

何か有り難いと思えてきたり、


そんな、大切な何かを感じる事が出来たなら。



ごめんなさいとうつむくよりも。

おだやかでも胸を張っていたほうが、感謝の気持ちを空に届ける事が出来そうです。




決して無理に焦る必要はなく、


小さなきざしで充分です。


今のあなたであれば小さなよろこびに大きな感謝が出来るはずなのですから。







第壱周忌本尊“勢至菩薩様”は、


過去世において心を引きちぎられる様な大変苦しい御経験をされ、


「このような苦悩を(私以外に)決してさせまい」と決心されたそうです。


そんな有り難い仏様は私達に、


苦しみの分だけ優しくなれる事を教えてくださるのです。






勢至菩薩御真言
<オン サンザン ザンサク ソワカ>


勢至菩薩(跪座)



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