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ゆうごうの「目指せこころあつまるお寺!」

千葉県佐倉市直弥にある「皓月山 宝金剛寺」住職 京極勇剛の部屋

 雰囲気と計算のはざ間で

お通夜のお勤めをいたしました。












まず記しておくと、

オイラが祭祀するお通夜の流れは


入堂から退堂で約45分強。





割り振りとしては


・読経 35分

所感法話 7分

・入退堂で 3分

   
    といったところ。






一応の根拠としては、

全体が、まず人間の平均的な集中力から言って1時間じゃあ長かろうと。

でも30分では短いと言った感覚が当寺周辺の地域では大衆的な感覚だろうと。



次にオイラごときの所感法話で10分を越えると、

そもそも抑揚がコントロールできないし聞き苦しいだろうと。


     その辺のところです♪







モチロンこれは時間ありきで成り立っているものでもありませんし、

キッチリとしすぎたものではなく、それぞれが連動しつつ補完しながら進みます。







そして、比較的参列人数が多い場合は読経を少し長めに。

逆に参列が少ない場合は読経を若干短め(端折るのではなくペース配分の問題)で法話をちょっと多く。



これは


参列者が多い場合は社会性が強いつまり比較的会社等のお付き合いでの方が多く、

形式的な方が余計な神経を使わず雰囲気を形成しやすい。


逆に少ない場合は法話を聴いてもらえる対象者の立場が共通しやすい。


   といったところです。






あ、でも、実際そこまで厳密に仕訳なんてしていません。

定形化は形骸化するデメリットがあることを強く意識しているつもりです。

あくまでその人にとって一生に一回であることが大前提ですので誤解しないでくださいね。








と。


前置きが長くなりましたが。(*^_^*)








本日は
「社会性が強いだろうケド、参列人数自体は多くないだろうし、ご親族の前では多めに法話したほうが。」


というオイラ的な判断でした。






結果。







通夜のお勤めを済ませ、退堂してすぐ時計を確認すると・・・52分。







ありゃ?






まぁ若干は長くなることは予想していましたがそれにしても想定よりちょっと長い。

どこで自分の感覚時計がずれたんだろうとちょっと落ち込みました。

えらそうにペラペラ喋って長引いたんだろうと推測。

それだけは注意していたのにと反省状態ですが、そんな雰囲気も出してられないので後席へ参加です。






席に着くと。








ご遺族様たちから心のこもったお辞儀を頂戴いたしました <(_ _*)>










技術とかではなく、何か届かせることが出来たのかなぁと。

もしくはそんな心のお手伝いとなれたのかなぁと。







答えなんか存在しないし、手柄になることなんかはあり得ないオイラの存在。




それでも、ひょっとして何かの役に立てたのなら。







今日も苦しんで良かったと。

不安と向き合って良かったと。

重たいものを背負って良かったと。




少し胸をなでおろします。





睡蓮02






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