生身のホトケのその姿
あっはっは~のは♪
『仏像半島 -房総の美しき仏たち-』2013/4/16~6/16 詳しくは → コチラ
という事で、本日も調査に同行いたしますっ!!
向かった先は八千代市村上にある正覚院
正式名称は『池証山 正覚院 鴨鴛寺 チショウザン ショウガクイン オウエンジ』おしどり伝説で有名な真言宗豊山派の寺院です。

-- おしどり寺(おしどり伝説)--
むかしむかし、村上の阿蘇沼という、大きな沼のほとりに平入道真円(たいらのにゅうどうしんえん)という侍が住んでおり、いつも狩りを楽しんでおりました。
ある時、阿蘇沼で一羽の鴛(おしどり・雄)を射止めて持ち帰ったところ、その夜、美しい女の人が訪ねてきて、さめざめと泣きながら「今日あなたが私の夫を殺してしまった」と言いました。しかし真円はいくら考えても身に覚えがありません。
「私は、あなたの夫を殺した覚えはない」
そう言うと、美しい女の人は泣きながら、次の様な句を詠み、帰っていきました。
日くるれば 誘ひしものを阿蘇沼の
真菰(まこも)がくれの ひとり寝ぞ憂き
翌朝、雨戸を開けて外に出てみると、きのう射止めた雄のおしどりの隣に、雌のおしどりがくちびるを合わせて死んでいました。
「昨夜の美しい女は、雌のおしどりだったのか。」
真円は、鳥でもこのように情愛は深いのかと心をうたれ、二羽のおしどりを手厚くほうむりました。そして、ここで出家し、沼のほとりに草庵を結び、これが鴛鴦寺(おしどり寺)であるということです。

そしてコチラのお寺には、仏像の像様を語る上で外せない特異な形式のご尊像がいらっしゃることでも有名なのです。
それは世に言う『清凉寺式釈迦如来立像』
宋に渡った奝然(ちょうねん、938-1016)という東大寺出身の僧が、渡航中の985年、台州の開元寺で現地の仏師に命じて1体の釈迦如来像を謹刻させた。その釈迦像は、釈迦の在世中に栴檀(せんだん)の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻したもので、「インド - 中国 - 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」と呼ばれ、嵯峨の清凉寺に伝わっている。
以降、国内においてこの釈迦像を対象とした信仰が生まれ、その模刻像を一般的に“清凉寺式釈迦如来”と読んでいる。

釈迦堂(市指定)
コチラのご尊像(県指定)は通常秘仏でございます。
オイラは一昨年の花祭りの御開帳で一度拝見したのですが、
きりりとしたお顔立ちとシンメトリーな衣文線にうっとりした記憶が残っています。(*^_^*)
また、寺の縁起にはいくつかの興味深いワードがちりばめられており、
以前は全く気がつかなかったのですが、本日色々なお話しをお聞きして
あらためて「なるほど!」と納得してしまいました (>▽<)b

正覚院発行の絵本
伝承は史実とイコールでは決してないけれど、その中には時代の流れや編さんがつまっているのですね♪
その後、成田市内某寺院(無住の為名称省略)の仁王像や諸尊についても無事調査が進み~♪
これで来年の展示会の概要がほぼ整ったのだそうです。
あぁ。展示がとにもかくにも楽しみ過ぎる!!(^v^)
あまりにハマっているオイラの空気を感じた妻に、
「展示会が終わったらチチ(オイラの事)は空っぽになっちゃいそうだね」と苦笑されるので在りました。(∩。∩;)ゞ
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