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ゆうごうの「目指せこころあつまるお寺!」

千葉県佐倉市直弥にある「皓月山 宝金剛寺」住職 京極勇剛の部屋

 みつけてくれた価値


あっはっは~のは♪


暑かれッス!じゃなかった、お疲れっす(*^。^*)



7/13~15で地元から遠い都市部の棚経に行きました♪


地元とはまた違った雰囲気を感じる事が多いこの棚経。

いや、どちらがイイということではありません。




あくまでも(本当にあくまでも)独断的で個人的な感覚として、

どちらかというとですが

地元≒現実を受取る檀務

都市部≒理想もしくは可能性を想う檀務 と、感じています。


なぜだろう???








先日のとあるお檀家さん。


御主人様を昨年亡くされました。

難病と向き合った数年。

看病を後ろ向きな重圧ととらえずに、生きがいにすら捉えていた数年。

聡明な奥様が、一生懸命考え、葛藤した数年だったと思います。




お盆のお経を終え、お茶を頂戴しながらしばし雑談。



特別重苦しくもならず、自然体で現実のお話しをアレコレしていました。

話題は友人のお話し。やはり同じ時期に夫を亡くされた方だそうで、

共通項もあり色々話したのだとか。

そしてその方が、亡き家族を送る事(葬儀)への疑問を語ったのだそうです。

「現代の葬儀(つまり葬式仏教)に疑問があるから葬儀をしなかった」と。

すると奥様は自らの葬儀体験を話し、

そしてその際に住職(オイラの事)が通夜で話した内容を引用したのだとか。







ここでその内容は記すような野暮なマネはしませんが・・・。







それを聞かされたその御友人は共感し、

「私もそのお坊さんにならば、拝んでいただいたのに」と語ったそうです。





ここで私は感じました。


いいえ、「オレって褒められてんじゃんっ」ってことではありません。

(ちょっとはあります)





「そのかたも、実は葬儀をしたかったのだな」と。

ただ、葬儀と言う形骸化された儀式にあらためて幻滅するのが嫌で、

そんな気持ちで家族を送るのが嫌で、葬儀をしなかったのだなと。





あらためて自らの職責は重いなと感じました。



「特に何も感じない」という人がいても。

「無味乾燥な通例行事と宗教者への謎の献金」ととる人がいても。

「葬式仏教だ」と揶揄されようとも。





手を抜く必要はないし、粛々と勤める事に恥じてはいけないなと。





オイラはぶっちゃけ年に何度も自分の無力感に眠れなくなる事があります。

重い荷物を持ち続ける勇気も、手放す勇気も無いのですから当然でしょうね。





でも、そんなトキ。



今回のようなお話しが(自らを)救ってくれるんだと思います。



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